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ギャル曽根が母や父との壮絶過去をナイナイアンサーで激白! [芸能]


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ギャル曽根が涙の初告白


ギャル曽根.jpg

ギャル曽根といえばテレビ東京の大食い番組をきっかけにブレイクしたタレントである。

2月11日のナイナイアンサーでは知られざる壮絶な過去を告白した。

1985年京都生まれ
本名 名城菜津子(旧姓:曽根)

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ギャル曽根と父親との別離


幼少の頃は会社を経営している父のお陰で10LDKの豪邸で過ごしたがある日を境に父が帰ってこなくなり母親から両親が離婚したことを聞くこととなる。

父は莫大な借金を負い蒸発してしまったのだ。
家には毎日借金取りからの電話や催促、自宅への取り立てなどに追われることになる。

そして、母一人で菜津子を含め3人の子供という母子家庭となる。
今でこそ母子家庭、父子家庭というのも珍しくはないが当時はまだ珍しく子供にとっても心の負担になったことだろう。

心の負担だけではなく当時の母子家庭はやはり家計は火の車だったようだ。
それでも母親は3人の子どもたちに不自由させまいと必死だったようだ。
今回のナイナイアンサーではないが以前違う番組でこんな印象的なエピソードを話していた。
「とにかく育ち盛りだった頃は食べても食べてもお腹がいっぱいにならず。家計を助けるためと自分たちの食欲のために大食い大会があると聞けば姉と出かけて行き片っ端から食べ尽くして数々の優勝賞品を貰った」と
当時の大食い大会は優勝すると更に食べ物をもらえることも多く一石二鳥だったようだ。
当時地元では有名な大食い姉妹となっていたようだ。

ギャル曽根と母親との確執


その後、成長するにつれ様々なことを察して行動できるようになると
父のことを母親に聞いてみようとしたのだが聞いてはいけない様な雰囲気で聞けなくなっていた。
母は子どもたちにはとても優しかったが父のことになるととても不機嫌になった。
いつしか曽根家での父親の話しはタブーとなり誰も話さなくなっていった。

当時、父の写真はすべて顔の部分が切り抜かれていた。

「大好きだった父に孫を抱かせてあげたい」
「どんなに悪いことをしても世界に一人の父」

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写真:カウンセラー心屋仁之助のカウンセリングで心の奥の父親へのわだかまりを解き放つために大声で「大っ嫌いだ」と叫ぶギャル曽根

母親の娘ギャル曽根に対する思い


母にその思いを打ち明ける。
「私はお父さんに捨てられたのかな?」

母が答える
「あの時、あの人には家族よりも大切なものが出来ただけであなたが悪いわけではない」

文章にしてしまうと安っぽくなってしまうが3人の子を女手一人で育てたお母さんの言葉は重い。

自分も母親になった今、父親に会いたい気持ちも少しと孫を抱かせてあげたいという気持ちも少しありそのことも母親に告げると
「会うことは自由だけれどあってもあなたの得るものは無い」と客観的に見ると少々冷たい気もするが妙に説得力のある言葉で娘を諭した。

結果、今のところギャル曽根が父親に会うことはかなわなかったが心に引っかかるものは少し解消したようだ。




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